医療

医療支援が必要でした

尚子(しょうこ)さんが最初に不安になったのは、停電のため痰吸引器の電池が切れて、苦しくなるかもしれないということでした。

揺れが収まってからは、ご自宅に戻られたんですか?

尚子さん:いえ、(旧事業所から)近くの湊小学校に移動しました。そこに二晩泊まったあと、自衛隊の人に日赤病院(石巻赤十字病院)に連れて行ってもらいました。

病院にはどのくらいいましたか?

尚子さん:たぶん、10日くらいだと思います。

熊井さん:尚子さんには痰の吸引が必要でした。避難所になっている湊小学校にお話したところ、日赤に連れて行く手筈を整えてくれるということでした。そして、日曜日(3/13)に移動してもらいました。私たち職員は、移動したその日にすぐ、病院に連れて行かれるものだと信じきっていました。けれども実際は二日後に移動したという話をあとから聞きました。
 (小学校に居た2日間)小学校のすぐ隣には看護学校があったので、はじめは準看護師さんや看護学校の生徒さんに診てもらっていたそうです。その後、その方たちは日赤に招集されたので、ヘルパーをやっている方たちに支援してもらっていたということでした。

みんなと離れたくなかった

尚子(しょうこ)さんにとって「織音」や仲間の存在は、かけがえのないものでした。

熊井さん:私が病院に行って欲しいって言った時に、しょうこさんは行きたくなかったそうです。

尚子さん:うふふ(笑)

熊井さん:尚子さんは行きたくないって言ったのに対して、あたしは、いや行けって言いました。

尚子さん:うふふ(笑)

病院が嫌い?

熊井さん:いや、嫌いという意味ではないんです。病院に行ったら利用者のみんなと離れてしまうから、尚子さんは、「みんなとここに(事業所)居たい」と言ったんです。
今でも思います。今度なにかあったときに私は、みんなで一緒に居られるようにしたいと考えています。あの時、尚子さんに行けと言ったのは私ですから。何かあったら、みんなと一緒に居られるのが、一番安心ですから。(また災害が起きた時に備えて、自家発電できる装備を整えたそう)

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