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6日間センターがあったビルで孤立しました

NPO法人輝く仲間チャレンジド こころ・さをり
主任指導員:女性/当時54歳

事業所種別
石巻市障がい者地域活動支援センター
事業所規模
定員10名
所在地
石巻市吉野町二丁目1番26号 石巻水産ビル2F
建物被害
賃貸建物半壊、施設備品破損、送迎車及び職員自家用車の全車輌流失
人的被害
人的被害なし
WEBサイト
http://blog.canpan.info/kokorosaori/
※施設の詳細やMAPの場所は被災時のものです。

調理実習の日。みんなで片づけの最中に地震発生!!

あの日は、ちょうど月に一回の調理実習の日で、調理実習後の会食が済み利用者と一緒に後片付けをしていました。突然の強い揺れで思うように動くことができませんでしたが、一緒にいた利用者を何とか机の下に誘導した後、職員で声を掛け合い、他の利用者・当日来所していた保護者を安全と思われる場所へ誘導しました。長く続く揺れの中で直ぐにガスの火の事がよぎりましたが、調理後で使用していないと確信していたので揺れが治まってから火の確認とガス漏れを調べるとともに、利用者と保護者及び職員全員に怪我がないことを確認しました。
これまでに経験したことのないほどの地震が長く続いた後、ラジオの情報や石巻市の防災無線から津波警報が繰り返し放送され始めました。旧北上川右岸500メートルに位置する当センターは、津波被害の危険が高いと思われ近くの山(牧山)への避難を決断しました。避難のため上階の事務所職員の応援を得て、送迎車輌と職員自家用車輌に利用者を分乗してもらい、防寒用具や食料も積み込み準備を整えました。

避難場所を近くの山からビルの5階へ変更しました

出発直前の職員間の協議の中で寒さや利用者の状態を考慮し、避難場所を近くの山(牧山)から当センターがあるビルの5階の空室に急遽変更することにしました。避難計画上では近くの山(牧山)へ避難することになっていましたが、前年のチリ津波発生時、周辺道路が渋滞したことや3月で寒さが厳しいこと、利用者の状態などを検討した結果、ビルの築年数は古いが、最近耐震検査済みであり、今回の地震で目立った損傷がないことから変更しました。ビルの5階への避難移動は、職員及び応援者の大半が女性だった事や停電によりエレベーターが使用できなかったこともありとても大変でした。
利用者の皆さんは、避難先が変更したせいもあって動揺している様子でしたが騒ぐことなく静かに指示に従ってくれました。利用者の保護者には携帯電話とメールで、「無事であること」と「迎えに来ないでほしいこと」を伝えましたが、全員の保護者とは連絡がつきませんでした。
避難したビルの外は、道路が渋滞し始めていましたが、周りは静かでした。そんな中、ビル駐車場の前のコンビニ店にお客さんが集まり始めていました。

時間の経過とともに避難してくる人が増えてきました

地震発生直後、隣のコンビニで食料と水の確保を素早く済ませました。しかし、津波の勢いは恐ろしく、私たちより後に買い物を済ませた同じビルにいた人は、戻ろうとしたときにはビルの玄関に水が迫ってきていたため、非常階段からようやくビル内に入り込むことが出来たそうです。あっと言う間に道路が川になり、押し寄せてきた水に囲まれ、また近くでは火災も発生し恐怖を感じました。
第一波、第二波と続き、ようやく波が落ち着いた時には夜になっていました。隣のコンビニに取り残された人や瓦礫の上に乗って漂っていた人をビル内に救助しました。
私たちが避難したのは、ビル内の空室だったので充分な広さがありました。センター関係者は5階に、津波から逃れた一般の方々は4階と別れて避難してもらいました。時間の経過とともに避難してくる人数が増えてきましたので、同じビルにいた上階の事務所の皆さんと一緒に受け入れ等の支援作業をしました。数日が経過すると避難してきた人たちは自力で石巻市指定避難所等へ移動し、ビルにはセンター関係者だけとなりました。

当初から長い避難生活になると考えました

2階のセンターから調理実習で作っていたビーフシチューなどの食料と暖房器具(ストーブ)を持って5階に避難しました。食料は少しずつ分け合い、一日のスケジュールを立てて避難生活をしました。朝は、体操から始まり朝食、水分補給を兼ねておやつ、明るいうちに夕飯を食べて長い夜を過ごしました。
明るい日中は、落ちついた様子で笑顔も見られましたが、暗くなると大きい余震が続いたこともあり不安と寂しさのせいか、あちこちからすすり泣く声か聞こえました。みんなで体を寄せ合い長い夜を過ごしました。3日目から、保護者が迎えに来る方もおり、その様子を見て落胆する利用者の姿もありましたが、残っている利用者同士励ましあっていました。

また、センターの関係者だけでビル5階に避難出来たので利用者の健康・精神状態を悪化させないように配慮ができました。しかし、医療措置の必要な利用者が出てしまいました。そのため自衛隊に救助要請を行い、その人達を一時近くの学校に移動できたのが震災後3日目。さらにその学校から医療機関に移動するために自衛隊にヘリを要請し、無事に移動できたのは震災後5日目でした。また、利用者の中に、常服薬の不足が生じ補給が困難になった事、トイレなどの衛生面でとても困りました。
その後、6日間を避難したビルで過ごし、救助に来た自衛隊の方々に利用者を背負っていただき、まだ水が引かない道路を進み、ようやく環境の良い福祉避難所に利用者を移動することが出来ました。
この福祉避難所では、2名の利用者が家族と共に利用することが出来ました。

利用者のご家族との連絡

震災の直後、職員の携帯のメールで連絡を行いました。携帯電話を持っている利用者は自分で連絡した人もいました。避難してきた人に手紙を託して無事であることを知らせることができた利用者が1名、全く連絡出来なかった利用者が1名いました。(その後、ドコモ門脇中継局が被災したため連絡の手段がなくなりました)
私自身、夫とは震災直後携帯電話で連絡が取れ、娘は利用者で一緒に居ることができたので、安心して支援活動が行うことができました。

震災から3か月少しずつ活動を再開しました

活動の場を失い、前センター長と今後についての協議の中、利用者の現状把握の必要性を確認し、家庭訪問を実施しました。各利用者の家庭は震災で個々に問題を抱えてしまっていることが分かり、利用者が日中活動に参加することにより、家族の生活再建に役立つことができると確信し、行政の担当者も親身に相談に乗ってくれました。
しかし、震災前に活動していたビルの周辺は、被害が大きくインフラの復旧が大幅に遅れ、さらに地盤沈下のため冠水しこの場所での再開を断念せざるを得ない事になり、活動する場所が無くなりました。

震災から3か月後の6月に、福祉避難所のご理解をいただき、一部をお借りして利用者と共に避難している方たちに「さをり織り体験」を行いました。その後、活動できる場所が無かったので、職員の自宅で仮活動を開始した7月には概ね以前の利用者が戻ってきました。狭い部屋と夏の暑さで大変でしたが、それでも利用者が集まってくれたことが非常にうれしかったです。
8月17日からは、現在活動している支え合い拠点センター内で「こころ・さをり」(石巻市蛇田字新金沼401 仮設恵み野団地)の本来の活動が出来るようになりました。従来通りのさをり織りを中心に音楽(コカリナ)、健康体操、自立に向けての調理実習などをしています。

 

震災後、沢山の団体から授産品販売の支援をいただいております。利用者・職員が製作に忙しくしており、工賃にもつながっています。

利用者の生活や気持ちが落ち着くまではまだ時間がかかりそうです

震災前からの利用者は自宅被災のため仙台市に1名転出、2名が体調不良のため長期の休み。新しい利用者となじめず、休みがちの利用者2名おりますが、新規の契約者は増加しています。支援学校卒業生2名、活動の場所を求めていた方が7名増加、皆さん体調の悪さを訴え、現在月に2回や週に1回の利用となっている為、日々の利用者が増加しているとは言えないと思います。利用者5名が仮設住宅に住んでおり、生活及び気持ちが落ち着くまでまだ時間がかかりそうです。

周囲の仮設住宅のみなさんのと地域交流会を続けています

震災前、周辺地区の人を招待する年2回の「ひな祭り」「夏祭り」は、定着した活動となっていました。
震災後、8月17日に仮設支え合い拠点センター内での活動が始まり、8月23日から助成事業「障がい者の生活支援・地域の人たちの交流会」を始め翌年の3月まで続けました。周辺の仮設住宅団地は、約45世帯という比較的小さい規模の団地で、皆さんに興味が持てるような企画を立てていき、一定の効果を得る事が出来ました。利用者に対しても良い刺激なることも多かったのですが、ストレスになることも有り「ノーマライゼーションな交流」の難しさを感じる例が幾つかありました。

震災後、新たなつながりが出来ました

みやぎセルプ協働受注センター主催の「被災障害者就労支援事業所連絡会議」が月一回開催され、それに出来る限り参加しています。宮城県内の他の地域の被災福祉事業所の現在の状況を伺い、現在困難な再建に向けて頑張ろうと前向きの気持ちになりました。
また、石巻市内2店舗で委託販売とインターネットの復興サイトでの販売もできるようになりました。

あの時、一番必要だと思ったものは「薬」です

利用者の常用している薬が一週間分と吸引セットが一番必要でした。

あの時を振り返って、一番考える事は・・・

利用者の安全確保についての事です。私達は、あの日一度は避難計画に基づき裏山に避難するため、利用者を車に乗せました。しかし、状況を考え、活動していたビルの5階へ避難場所を変更しました。一晩過ごすには寒すぎることや道が渋滞することなど問題点を掘り起し、迷いながらも話し合い良い選択ができ利用者の安全が保たれものと確信しています。これかも、利用者の「安全を第一」と考え、避難訓練を重ねながら、問題点を洗い出し、状況の確認を行い良い選択ができるようしていきたいです。

今、一番伝えたいこと

震災時、センターは北上川の河口に近い石巻市湊地区で活動していました。利用者、職員はビル上階に無事避難できましたが、周辺の光景は信じられない状態で、無事利用者を守り保護者の元へ帰す事を一番に考えました。活動再開は無理かもしれないと思ったこともありましたが、これまで支えて下さった方々、今まで会ったこともない方々の温かいご支援をいただき、前向きの心を持つことができ活動再開を決めました。温かい皆さんの心が私達の背中を押してくださったことに感謝しています。現在も石巻市運営の仮設支え合い拠点センター内で活動をしています。利用者の大半が被災して仮設住宅で生活しており、再建している家庭はまだありませんし、震災によって利用者の精神的、肉体的負担は計りしれません。早く震災前のような活動が出来るような環境を作り、そして、利用者の支えになる楽しい活動をしなければと思います。