避難状況

お話:内海直子さん/女性/当時50代/心身障害児施設「マザーズホーム」元園長

普段から避難すべき場所というのはわかっていたということですね。

 公民館しかなかったので、もう決めていましたね。あの日は公民館長さんが「早く逃げろ!」って迎えに来てくれました。年長・年中・年少さんはいつも訓練していたので、職員も冷静に「服着ましょう」「バッグ持っていくよ」と声をかけて。当時から「走るな、話するな」って教えていたので、整然としていました。で、公民館に逃げました。一部三階建てで、後は二階建ての構造です。二階に和室のスペースがあって、訓練の時はいつもそこに逃げていたので、その時も同じ場所に逃げました。マザーズの職員も、保育所の子どもと一緒に入りました。次第に地域の人も入ってきたんですけど、誰かが「こんな所にいたら死んでしまうぞ、上さ上がれ!!」って言ったんですよ。後でわかったんですが、その人は南小学校にお子さんを迎えに行ってきたお父さんで、「放送で10何メートルとか言っていたから、ここじゃ死んでしまうから上に上がれ」と教えてくれたんですね。それで慌てて三階に上がったんです。それから近所の人達がどんどん上がってきて、車いすの人とかもみんなで上げたりして。年配の人が多かったですね。そのうち「来たぞ来たぞ」っていう声がして。はっと思って窓の方を見たら黒い波がザーっと迫ってきて、窓にぶつかってドドン、と音がするんです。あの辺は埋立地ですし、古い公民館なんで、建物にヒビが入ったりして大丈夫かなと不安でした。

 そうしているうちに本当に人がいっぱいになって足の踏み場もないくらい。そのうち「三階にいても危ない」ってことになって、屋上に逃げることになったんです。屋上に行く梯子に登るには120㎝くらいある金網を超えていかないといけないんですが、金網を開ける鍵がないんですよね。男の人達が叩いたりしてもなかなか開かないので、見つけてきた箱を足場にして、一人ずつ抱えて移動させました。保護者や男性陣が子どもを一人ずつおんぶして屋上へ上げていきました。年長さんだともう体格のいいお子さんもいたりするから、男の人達は大変だったと思いますよ。点検用の梯子なので、大人も大変な思いをして上げました。

時間が経つに連れて、雨がみぞれになって雪になってどんどん寒くなってきて。そうしたら誰かが公民館のカーテンを持ってきて、それを体にかけて暖を取りました。

 

その時点で屋上には何名ほどいらしたかわかりますか?

後で公民館避難者の名簿を作ったら400数名いたようです。一景島保育所のお子さんは60数名ですね。夕方、暗くなってから海に火がついているのが見えました。南のタンクがあった方で。その火がだんだん内湾の方に来たんですね。それが内湾と鹿折地区の方に伸びていって。「こっちに来なければいいな」と思っていたけど、公民館の方にも火の手が伸びてきました。ガレキに火がついて、どんどん押し寄せてくるんです。これが公民館に引火したらどうしようという恐怖がありました。それに加えて揺れもあるもんですから、建物が壊れなきゃいいなとも思っていました。

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