2年間のブランク

お話:特定非営利活動法人 きらら女川 所長 松原千晶さん

事業所の再開を考えたのはいつ頃なのでしょうか?

被災直後はそんな余裕はなくて、まずは利用者の安否確認でした。次に、利用者のこれから先のこと。事業所の再開という以前に「みんなで生きること」に向き合うときでもありました。ただ、このままでは終われない。自分たちのやってきたことを「無かったことにしましょう」という考えはありませんでした。

利用者さんを見捨てるわけにもいかないですよね。

できることをしないのが見捨てるということだと思います。諦めないで小さいことを積み上げていった結果が今に繋がっているのかなと思っています。

事業所の再開まで2年間のブランクがあったそうですが。

はい、本当にこれはもう人それぞれの震災ですから一言で同じようには語れないところはありますよね。事業所の建物が建ったのは2年後でしたが、それでも女川での建物の新設第一号だったんです。それだけ女川は大変な状況だったということです。

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