希望の光

お話:社会福祉法人洗心会 ワークショップひまわり 支援係長 伊藤純子さん

ライフラインが復旧したのはいつ頃でしょうか?

ここは遅かったです。近くまでは電気工事の車がきていたのですが、なかなかこちらまで来なくて。ようやく電気がついた時は本当にうれしかったですね。水道はまだでしたが、水は横を流れる川の水を使っていましたから。それでお湯を沸かして。利用者さんの髪や顔を拭いてあげたかったんです。顔を洗ってあげると「やっと洗えたー」と泣くんですよね。いつもなにげなくやっていることがこんなにも嬉しいことなんだと、その時思いました。お湯ってこんなにありがたいんだって。

 

他に苦労した事はありましたか?

利用者さんのお薬を確保するのが大変でした。病院も被災していますし。混乱している中、私と所長が交代でリュックサックを背負って毎日病院まで通いました。また、遺体安置所で所長のお母さんや、利用者さんのご父兄を探す作業もつらかったです。ブルーシートに包まれたご遺体をひとつひとつ確認するという。以来、ブルーシートを見るだけで思い出してしまいます。高台から炎に包まれる気仙沼を見ながら、これからどうなるんだろうという不安でいっぱいでしたが、利用者さんの前で涙を見せてはいけない、笑っていなければならない、職員は笑顔でいようと話しました。ご主人が無くなった職員もいましたが、本当に頑張っていたと思います。それとやはり、障害者に対する偏見、誤解というものが大変でした。いくら説明してもなかなかわかってもらえない。私は福祉というのは心に余裕があってできるものと思っていますので、あのような混乱した状況ではなかなか理解できるものではないし、健常の方が悪いというつもりもありません。でも、障害があるというだけでそういう目で見られてしまう。そうなると、何かお願いをしたくても出来なくなってしまう。それが残念に思えました。ひまわりは被災から一ヵ月もしないうちに再開したんです。どこの事業所さんよりも早かったと思います。それは、ひとりでもひまわりを頼ってくれる人がいるなら、早く再開しようと当時の小松所長が言ったんです。電気も水道もまだこない、でもそこは職員みんなで工夫をしながら。みんなが集まれるところにしてあげようといって。

 

ひまわりの存在が利用者さんやそのご家族の希望になっていたんですね。

そうですね。ひまわりがあったから頑張れたと言ってもらえて。

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