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地域住民の避難所になりました

社会福祉法人洗心会 高松園
支援員:男性/当時37歳

事業所種別
生活介護・施設入所支援
事業所規模
定員50名
所在地
気仙沼市唐桑町浦195
建物被害
窓ガラス破損、電気・水道等ライフラインストップ
人的被害
なし
※施設の詳細やMAPの場所は被災時のものです。

利用者支援中に地震発生!!

地震の様子を見ながら、屋外(園庭)への避難を開始しました。介助を必要とする利用者へのサポートと声掛けなどを行いながら、誘導しました。その後、敷地内の作業棟に利用者全員を避難させ、全体掌握に努めました。同時に、職員で建物の破損状況の確認を行いました。
建物自体が高台にあり被害も少なかったので、他に避難する事はしませんでした。あまりに大きな地震で、何度も何度も余震が続く中で、数名の利用者が情緒不安定になりました。職員も、この状況が「通常とは違う」という事を、利用者へうまく伝えられませんでした。

急遽、「避難所」の役割を担う事になりました

高松園周辺の海岸に面した地区が津波により大きな被害を受けた為に、高台にあった高松園に大勢の地域住民の方々が避難してきました。途中に小学校もありましたが、校庭まで津波が押し寄せてきたとの事で、更に安全な高台へと考え避難して来たようです。当初は、避難状況、緊急性から普通ではないと感じました。また、困っている時はみんな一緒。避難所が無い中で避難所としての役割を担い、地域住民の方たちへ提供したいという職員の想いがあったと思います。また、高松園が体育館とは違い、入居(居住型)ということも避難所になった理由の一つかもしれません。
当日の夜は地域の方350人ぐらいが避難してきました。地域の方、町内にあるグループホーム利用者(老人)とその職員、そして高松園利用者とその職員を合わせると避難者数は400人を超えました。
その後、避難してきた方々は親戚・親類宅へ避難したり、グループホームの方々も他の福祉事業所に移動したり、また、仮設住宅が設置されたことによりそちらに移動したりし、徐々に避難人数は減っていきました。最後の方が仮設住宅に移られたのが7月14日でした。約4か月間避難所としての役割を担いました。

当時働いていた職員は・・・

避難者受入れ直後より職員が中心となり、利用者以外にも地域住民の避難者数の確認、避難スペースの確保など対応に追われました。当施設の給食は外部委託していたので、その業者の皆さんにも食事の準備等のお手伝いをしていただきました。慌ただしい状況の中で時間を見つけながら、職員個々の家族や家屋等の確認にもあたりました。職員としては予想外の大規模人数避難所としての受入れとなり、自分の家や家族の心配、利用者への対応、先の見えなさ(期間)から、戸惑いは大きかったと思います。避難所として運営する中で、最初は職員と地域住民との意思疎通が取れず、上手くいかなかったり誤解を招いたりという事もありました。しかし、次第に地域の方、職員の中で現状の把握、相互の協力、公的支援の普及、情緒の落ち着きを取り戻し、少しずつですが連携が取れてきました。
私自身、家族とは震災当日の夜、携帯電話で祖母と連絡が取れましたが、実際に家族全員との再会を果たしたのは7日目でした。

実際の避難生活の中で

施設内を地域の方、利用者と居住スペースを数か所に分けて生活してもらいました。震災後すぐに電気と水は止まりました。ガスはプロパンガスだったので使用可能でした。震災約1か月後に電気が復旧しました。その事により、水も出るようになり、本当に嬉しかったです。復旧後には、入浴、洗濯などを曜日や時間帯で決めて交互に使用し、地域のみなさんと生活して行く上で色々なことを話し合い、説明や連絡を取りながら協力し合いました。利用者には状況を説明し協力をお願いし、了承を得て支援にあたりました。現状では無理な事、不足している物に関してはきちんと説明し我慢という形での協力をしてもらったりもしました。復旧が進むのに合わせ支援内容も震災前に近づけるように取り組みました。入浴や医療関係、日用品の調達をするために岩手県一関市へ足を運び、支援物資の調達なども行いました。

現在は、地域活動支援センターへ移動しました

その後、仕事場は唐桑の入所施設から南三陸町の地域活動支援センターへ移動となりました。このセンターは津波被害によりすべてが流出しました。一時は、震災後町外への避難等で利用者は減りましたが、一年過ぎたあたりから新規の利用者が増え人数的には震災前に戻りつつあります。利用者もメンタル面については落ち着いている方だと思います。

あの時を振り返って、一番考える事は・・・

あの時は、全てにおいて、日々目の前にある問題に対応することに必死でした。当時勤務していた施設(高松園)は、入所施設という事や地域の方々の避難所になったという事もあり、物資の配給等に恵まれていました。とてもありがたく思う反面、他の避難所の状況を聞くと申し訳なく思う事もあります。

今、一番伝えたいこと

ご支援下さった皆様、本当にありがとうございます。今でも、感謝の気持ちは変わりません。今後、皆様と同じように貢献できればと思っております。年々、震災の記憶が薄れて行きますが、被災地の復興にはまだまだ時間が掛かります。これからもご支援等頂ければありがたいです。図々しいお願いかもしれませんが、宜しくお願い致します。