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施設は津波で全壊、2週間後には間借りで再スタート

社会福祉法人円 まちの工房まどか
デザイン開発担当:男性/当時31歳

事業所種別
多機能型事業所
事業所規模
B型25名、就労移行15名
所在地
仙台市若林区荒浜字一本杉北2-2
建物被害
建物全壊、施設備品全損、車輌流失
人的被害
利用者は全員無事、職員2人が津波に流され1人生還
WEBサイト
http://www9.ocn.ne.jp/~madoka-s/
※施設の詳細やMAPの場所は被災時のものです。

作業中に地震発生!!

立っていられない程の強い揺れでした。少し収まってから避難訓練と同じように、外の駐車場まで避難しました。仙台港にある東北石油から黒煙が上がっているのが見え、普通では無い状況の様な気がしていました。避難していた駐車場はとても寒くて、職員が手分けしてまだ余震が続く中、施設内に上着を取りに行き、利用者に着せました。我々の施設の指定避難場所は、ここよりも海側の荒浜小学校になっていました。近くに居た消防の方々が「大津波警報です!!」と叫んでいたのを聞き、海側には逃げないで、内陸の七郷中学校に逃げようと、理事長からお話があり、送迎車を使用しピストン輸送にて利用者・職員全員を避難させました。避難先に到着した時に、当時まどかのドライバーをしていた方から「今ちょうど潮が引いている。津波がくるぞ」と聞きました。利用者は、具合が悪くなる方が1人いましたが、パニックになる事も無く緊張感を持って、円滑に避難行動が行えたと思います。最初、校舎の4階に誘導されました。ラジオから「荒浜に200名の遺体が上がっている」と聞こえてきました。ほどなくして、校舎の建物も危ないという事になり、体育館に移動しました。車いすの利用者が1人おり、上に下にと移動する事が大変でした。

2名の職員が施設に戻ってしまいました

避難所はとても寒く、雪も降ってきました。
「寒いので毛布を取りに行く」「保護者の皆さんが施設に行って迷わないように張り紙をしてくる」との理由で、男性職員一人と女性職員一人が施設に戻って行きました。そこで、津波に遭い、男性職員は波にもまれながらもなんとか近隣の住宅の2階にたどり着き凍えながら一晩過ごし、怪我と肺炎になりながらも生還しました。しかし、女性職員は戻って来ることが出来ませんでした。


※平成23年3月15日撮影


※震災前の「まどか荒浜」

避難所はとても寒かったです

避難先の七郷中学校は、毛布もストーブもなく、水とビスケットが配給になっただけでした。トイレは汚れ放題で、男性利用者は一緒に外に行き、暗い夜空に向かって用を足しました。とても寒くなり器械体操のマットにくるまったり、フラフラして迷子になったりする利用者もいました。高齢の利用者は耐え切れなくなり、車に入り暖を取りました。その時、カーラジオで避難の様子をメールで投稿する事が出来る事を知り、「まどかは七郷中学校に避難し利用者全員無事です」と発信することが出来ました。そのうち、販売から帰ってきた職員が商品の売れ残りの蒸しパンをみんなに配り飢えをしのぎ、長い夜を明かしました。避難所にはご近所の方々もおり、以前からとても良くしてもらっていたので、「まどかさん、無事でよかった」と声を掛けて頂きました。翌日、利用者の保護者がお迎えに来てくださったり、ご自宅まで送り届けたりし緊急避難が終わりました。

16日役職員全員一致で再建を決めました

「まどか荒浜」は、海岸から内陸へ1.2kmの場所に位置した平屋の建物でした。中はめちゃくちゃ、屋根の上には松の木が根こそぎ打ち上げられていました。おそらく8mもの津波が押し寄せたと思われます。震災後、宮城県庁18F「レストランぴぁ」に役職員全員が集まりました。「まどか荒浜」は一法人一施設であり、その施設が壊滅した場合は、解散か自主再建しか道はありませんでした。協議を重ね、その場にいた全員一致で再建の道を決めました。私は、この結果震災後無職になる事は避けられ、直ぐに給料もいただく事が出来ました。
再開を決めたその後すぐに、以前より親交のあった「仙台ワークキャンパス」に間借りさせていただく事が決まり、約2週間後に場所を仙台市太白区袋原の仙台ワークキャンパスに移し再開しました。
その後、1年3か月間借りさせて頂き、「まゆ玉」を使った商品「福幸だるま」を作る活動を主に行いました。震災前に比べ、一時期利用者は減りました。他の事業所に移った方もいます。また、精神的に引きずって毎日通所できない利用者が1人います。


※「仙台ワークキャンパス」にて間借りしていた時の作業風景


※たくさんの思いがこもったまゆ玉商品「福幸だるま」

平成24年6月25日 「まちの工房まどか」として再建しました

現在は、仙台市太白区袋原に住所を移し、「まちの工房まどか」として新しい施設を再建しました。震災前からやっていた紙漉き、和菓子の製作は辞め、まゆ玉の加工と新規事業としてシルクスクリーン印刷とベーカリーショップを営んでいます。震災を機に荒浜から袋原に活動拠点がかわりました。地域の皆さんとの繋がりはこれからだと思いますが、この地域は福祉施設が集まっている場所でもあるので、今後が楽しみでもあります。

※「まちの工房まどか」として再出発

震災後、新たなつながりが出来ました

復興支援の団体や同じような体験をした他の事業所の方々とも集まる機会あり、つながりが増えました。

あの時、一番必要だと思ったものは・・・

仲間への気遣いと優しさ
「戻らないで」と言えれば良かった。

あの時を振り返って、一番考える事は・・・

突然、色んな物を失う事はとても悲しい事です。

今、一番伝えたいこと

仲間への気遣いを大切にしたい。