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大きな揺れにパニックになりました

社会福祉法人 洗心会ワークショップひまわり
生活支援員:女性/当時48歳

事業所種別
就労継続支援事業B型
事業所規模
定員20名
所在地
気仙沼市赤岩牧沢38-3
建物被害
特になし
人的被害
なし
WEBサイト
http://www6.ocn.ne.jp/~ookuwa/himawari/index.htm
※施設の詳細やMAPの場所は被災時のものです。

作業中に大きな揺れにあいました

地震が発生した時は作業中でしたので、利用者と共に机の下に入りました。地震直後、利用者はパニックになっていたのでとにかく落ち着く様に声を掛け、自分の気持ちも落ち着かせました。利用者の家族と連絡が取れるまで、利用者の不安を取り除くのが大変でした。

気仙沼市総合体育館に避難しました

ライフラインが止まり、利用者の安全を守る為にも避難を決断しました。避難する時は施設にあった救急箱、毛布、ティッシュ等を持ち出し、利用者を公用車でピストン輸送しました。体育館は床が冷たく、利用者と職員で体を寄せ合い過ごしました。寒さに耐えながらも全員落ち着いて従いましたので、大きなトラブルもなく過ごしました。避難所では特別に「ひまわり」だけの部屋を準備して頂けたので、他に避難していた方に迷惑をかけることもなかったので助かりました。

携帯電話は繋がらず、家族と連絡が取れませんでした

利用者のご家族の方が迎えに来ても戸惑うことの無いよう、避難所では一晩だけ過ごし、翌日の朝には施設に戻りました。また、ご家族への連絡手段がなかったので、自宅が近い利用者は直接送り届けましたが、ご家族との連絡が取れるまでは、利用者が不安になる事の無いように過ごしました。
私自身は道路が寸断されていた為、自宅に戻れたのは3日後でした。
その後、事業所が避難場所となり、ご家族と連絡が取れない利用者や被災した利用者とそのご家族と共に1ヶ月ほど過ごしました。

事業所を再開するにあたり

一番うれしかったことは利用者の元気な笑顔を見ることが出来たことです。ライフラインが途絶えていた時は本当に大変でした。また利用者は小さな地震に敏感になり怯える姿が見受けられます。

あの時、一番必要だと思ったものは・・・

衛生用品が足りないという声が何度か聞こえてきました。

あの時を振り返って、一番考える事は・・・

地震が来たら高台にすぐ避難する。津波の恐ろしさを改めて教えさせられました。
人間って「いざ」となると無我夢中で頑張れる

今、一番伝えたいこと

自衛隊、ボランティアの皆様、長期間のご支援ありがとうございました。
3月11日は、今後も忘れる事の無いように、後世に伝えていきます。