避難行動の中で

写真:津波の漂流物

(注)みどり工房若林は2019年5月1より「みどり工房長町」に施設名称が変更となっております。

お話:特定非営利活動法人 みどり会 地域活動支援センター みどり工房若林
施設長 今野真理子さん(当時)

最初の避難場所までの移動は徒歩ですか?

徒歩と、車も平行して。

避難行動中の動きはどうでしたか?

工房の近くにコミュニティセンターがあったんです。その後ろに公園がありました。
公園のような広いところ、何もないところに行ったほうが安全じゃないかっていう情報も、移動避難する中、聞こえてきました。
公園に避難している方もいました。あの位の揺れだったら、建物がなくて倒れるものが何もないところの方が、安全な気がしますよね。
あの時もし、地震の発生が工房からの帰宅時間だったら、利用者さんの自己判断で公園を選ぶ危険性がありました。
個々の判断にゆだねたら、もしこっちおいでって言われたら、付いていくこともあったのではと、今考えると怖いですね。

避難時の利用者さんは何名でしたか?

当日、利用者さんは7人いました。一緒に避難したのは6人。1人は、レクリエーションで早く終わったこともあって、地震発生前に先に帰っていました。私たちは工房にいた利用者さんと一緒に避難しました。

そのあと、津波は何分くらいで来ましたか?

私たちはその後、荒浜小学校ではなく内陸の小学校に逃げたので、津波自体は見ていません。

その内陸の小学校へ逃げるという判断も、ここもまずいんじゃないかってことからですか?

そうですね。ラジオから聞いた津波の高さの情報が、あの時、時間と共に変わっていったので。
荒浜小学校に行って混乱していたのもあって。車で敷地内に入れなかったこともあり、また、小学校の周辺も渋滞していました。そういうこともあり、一旦、小学校の近くのコンビニに避難したんです。
交通量の多い県道も近くにあり、渋滞していたし、その人たちが避難する場所となれば荒浜小学校しかないと思いました。そういう流動性のある県道を走るドライバーの人達も校舎入りきれるのかなって、心配になり、一旦私たちは近くのコンビニに待機しました。
コンビニ前は県道で、目の前で渋滞も見てますし。避難場所の再検討を始めたんです。
その時に、ラジオの情報が変わって、「10メートルの津波が来る」と。10メートルだと、3,4階しか、安全な場所って確保できないですよね。なので、このままここにいるのは危険だなと判断しました。
荒浜から4キロ先に七郷小学校があるんです。そこが、数年前、工事をしていたのを思い出しました。耐震工事をしてたということで。そうしたことも含めて安全を考えて、避難先を七郷小学校に変えました。

ページの上へ戻る