織音:愛さん

お話:特定非営利活動法人 輝くなかまチャレンジド 共生型福祉施設 織音(旧:こころ・さをり)
利用者 愛さん(女性/当時20歳・知的障害)
職員 熊井さん(会話の補助としてお話に参加していただきました)

あの日

愛さんは、いつものように石巻市内の「織音」に通い、調理実習でシチューを作っている時に大地震にあいました。

熊井さん:利用者さんのご家族等に、携帯で連絡していました。それでたまたま、愛ちゃんの持っていた携帯がお母さんとつながりまして、連絡を取ることができました。お母さんが愛ちゃんの無事を知って、とても喜ばれたのね。

愛さん:はい。

熊井さん:うちの(旧)施設から、愛さんのご自宅までは歩くとだいたい30分ぐらいだったと思います。揺れが落ち着いたその後、お父さんが瓦礫を越えて、愛さんを迎えに来ました。(利用者の中で)一番最初でした。
また、当日は調理実習をしていたこともあり、お米や食べかけのものを温め直しながら食べていました。そんなに食べ物に困ったわけではありませんでした。

避難した3日間

海に近かった「織音」の建物は、大きな津波に飲み込まれてしまいます。しかし利用者や職員全員で建物の上階に避難し、みんな無事に乗り切ることができました。

当時、利用者さんは何名いらっしゃったんですか?

熊井さん:利用者は8名くらいです。その中には、支援学校を卒業した男の子が一人、小学校6年生の女の子がお母さんと一緒に遊びに来ていました。その人数で、一週間ビル(以前施設があった)に避難していました。たまたま、スタッフは全員いました。
(揺れが収まってから、)一度違う場所に避難するために車に乗せたところで、一人の利用者がトイレに行きたいと言い出しました。それで、(事業所があった)ビルに戻ることにしました。その時、近くに住んでいたビルのオーナーさんが、うちのトイレを使っていいよって、言ってくださったので、うちのスタッフ数名とその利用者と一緒にオーナーさんのお宅に行きました。
その間に津波が来たので、日曜まで(当時3月11日は金曜日)スタッフたちとその利用者は、オーナーさんのお宅にお世話になっていました。
オーナーさんのお宅は建てたばかりなのに、一階がだめになってしまいました。津波が来る前だったので、スタッフたちは靴を脱いでお宅に入ったため、靴をだめにしてしまいました。

愛ちゃんのバッグ

愛さんには、とても大切な「宝物」があります。お気に入りのマンガ本やぬいぐるみなどが入った、とても大きくて中身の詰まったバッグです。

熊井さん:愛ちゃんの大きなバッグ見せてあげてください。

愛さん:いいですー!(愛さん恥ずかしそうに)ヤですー。
いつまでそんなの。(と、言いながら取りに行ってくれました)

熊井さん:これは愛ちゃんが、ぜったい手放せないものなんです。お父さんは道路に瓦礫があり歩けなかったので、人の家の屋根に上がって愛さんの長靴を持って(事業所のあったビルまで)迎えに来ました。そこをまた上がって帰るとおっしゃるので、私はその、あいさんの荷物を置いて帰ることを進めました。普通だと30分くらいで帰宅できますが、大変な時間がかかります。ですがお父さんは、愛にはこれがどうしても必要だと言って、持って帰ったのね。

愛さん:はいっ!

夜は道の駅で

愛さんの自宅は津波で一階が被害に遭いました。

熊井さん:震災後、私と前所長が、愛ちゃんのお宅を家庭訪問しました。私は愛さんがご自宅の二階で寝られているか、心配で聞きました。そうしたら、やはり余震が怖いと言っていました。夜は上品(じょうぼん)の郷という道の駅に言って、自家用車のセダンの中で過ごされていたそうです。
それを聞いて、愛ちゃんたち家族が入れる、福祉避難所(障害者の方、家族が生活された)の部屋を貸してもらえないかと、(他の社会福祉法人)祥心会に交渉しました。そしたら、一つ空いていました。

その当時、車の中でお父さんたちとは、どんな話をしましたか?

愛さん:被災された人たちのこととかです。

熊井さん:お掃除してましたね。

愛さん:はい!

熊井さん:昼間はお家に帰ってきて、お掃除してました。

9畳のワンフロアー

仮設住宅での暮らしで大変だったのは、9畳程度のワンルームに家族4人で暮らさなければならないことでした。

熊井さん: 2016年、復興住宅にお引越しされたそうです。(当時は)祥心会の福祉避難所から(同じく祥心会の)福祉仮設に移っていました。引越しをされるまでは、ずっと福祉仮設に居ました。
今はもう別の仕事をされていますが、その福祉仮設で、お父さんは管理人さんとして働いていました。住まいのすぐ近くで働いていたので、ご家族は安心されたと思います。

愛さんはお家のお手伝いをしましたか?

愛さん:洗濯とか掃除とかしてまして。

何か、その時大変だなと思ったことなどはありましたか?

愛さん:掃除機をかけるのが大変でした。

熊井さん: 愛ちゃんも妹さんも以前のご自宅には個室がありました。お母さんが同じ場所に家族で居たのは、中々大変だったと、おっしゃっていました。

ご家族から、仮設生活での愛さんの様子や困ったことなど、聞いていましたか?

熊井さん:お父さんが働いているとはいえ、祥心会(別の事業所)だったので、溶け込むのは大変そうでした。愛さんのご家族は「織音」の利用者と隣同士だっただけで、他の人とは親しくはしていなかったようです。福祉仮設で生活されているほかの方は、知らない人同士だったようです。

ハンドマッサージ

お父さんのおかげもあって、愛さんは仮設住宅の集会所で行われるイベントにも参加するようになりました。

仮設での生活の中で、助かったことや良かったことはありましたか?

熊井さん:支援物資が届いたり、餅つきなどのイベントがありました。お父さんは(仮設の近くの)集会所で、その仕事もしていました。

どんなイベントが一番好きでしたか?

愛さん:ハンドマッサージとかの。

熊井さん:イベントでハンドマッサージをしに来てくれました。

してもらって、どうでしたか?

愛さん:香りも、純情でした。気持ち良かった。

熊井さん:その福祉仮設には、たくさんの障害者とそのご家族がいらっしゃったので、色々な支援があったと思います。お父さんもイベントのお仕事を一生懸命していましたね。

愛さん:はい。

毎日通える場所

一様にみんな歳をとってきて、震災からこれまではあっという間ですけど、長かったんだなと、思いますね。

愛さんや尚子さん、他の利用者さんの中で、震災前と変わったことはありましたか?

熊井さん:利用するメンバーが変わったというのもありますが、リーダーシップをとってくれるようになりました。愛ちゃんが二十歳だったのが、今度26歳になりますから。
私と前所長が目指したのは、家に居る障害のある方が、毎日通える場所にしようということです。
震災前後から、支援学校卒業の方が入ってこられるようになりました。そうすると、ベテランの方と若い子になって、バランスがとても良いんです。うちに来られる方は、障害の重い子が多いんですけれど、結構育っていくんですよね。自傷行為なんかする子も、上(リーダー)になってみたりとか。

みんなで作業をしていたりするからこその変化ですかね?

案外、寝てばっかりいてサボっていた子もいたのに、わからないものですね。

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