連絡手段と家族への引渡し

お話:社会福祉法人 嶋福祉会 就労継続支援B型事業所 さくら学園
施設長(当時) 佐野篤さん

 親御さんやご家族とも連絡の取れないような状況の中で、一軒一軒、繋がるような所にはお電話をしていったんです。
 杉の入小学校には一台だけ公衆電話があって。ピンク色の。最初の頃はそちらには規制がかかってなかったので使えたんですね。10円玉を持って皆並んでいて。我々も順番に並んで、たくさんかけると迷惑だから2,3軒づつかけて、終わったらまた並んでというようなことをしてたような覚えがありますね、その日の夕方から。
 当然、なかなか連絡がつかない相手もおれられました。繋がるところ繋がらないところ色々でしたね。でも、杉の入小学校に逃げているだろうという想定で迎えに来てくださる親御さんがいたり、他を探しながら杉の入小学校に辿りついた方もいたり、保護者に引き渡せる方はその日の晩から引渡していきました。
 藻塩の里も一緒に逃げていたので、藻塩の里は単身で暮らしている方も何人かおられて、そういう方に関してはその方の生活力に応じてもう少し一緒に居た方がいいんじゃないかという方もいましたね。
 ご家族と連絡が取れるまでは帰さずに一緒に居ましょうということで。自宅がどうなっているかわからない中、個別にその確認までをできるような状況ではなかったので。本人達も不安だから一緒に居たいってこともあったと思います。我々が送って行ったり自宅の確認までするというところは、その日の晩にはしませんでした。

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