避難所での生活

お話:小山(おやま)賢一さん(男性/当時30代/盲ろう者[弱視難聴])

小山さんがお住まいの地域だと、避難所というのはどちらになりますか?

大きな地震が発生したときは、まずは高台へ避難するように言われていました。小学校でも津波を想定して、山を登って高台に避難していたようです。なので、私たちが利用した高台の避難所にたくさんの人が集まりました。

 

避難所に集まった人達は何人くらいいましたか?

200人くらいはいたと思います。ギュウギュウ詰めでしたね。私の居住する集落だけでなく、周辺の集落で自宅が流された方々も避難してきましたし、高台の自宅に居た人達も危ないので、みんな避難所へ集まり、一緒に過ごしました。もう、ずっと揺れっぱなしでしたからね、あの晩は。

 

そこにはどれくらいの間いらっしゃいました?

5月末なので、2ヶ月半はいたと思います。長かったです。

 

避難所で、ご家族やお知り合いの方以外で声をかけてくれる人はいましたか?

避難所の中では誰かしら声をかけたり、私の食事の配膳をしてくれました。その場で食事を受け取って、近くで声をかけてくれた方と話をしたりすることはありました。ただ、私自身は、見えにくい、聞こえにくいため、周囲の状況がまったくわからないので、こちらから声をかけられないんですね。なので、自分が動きたくても動けないことがありました。

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