共に歩む

工房再建へ向けて

3月30日に、来ることができる利用者さん・スタッフで1回集まり、工房の現状報告をしました。その時期にはもう皆さん新聞などで荒浜の情報を知っていました。
荒浜の状況をある程度把握していたこともあってか、「工房はもう基礎しかなく全て流れた」ということを伝えると、「あ、そっか」って、それ以上の多くの言葉はありませんでした。
あとは利用者さん報告として、畑もやってたので農地も浸かり使えないこと、近所の方々も亡くなったこと、手芸の製品や材料等も全て失ったことを伝えました。
まず現状を報告することがスタートと考えました。事業所は利用者さんが主体となる場所なので、運営する事業所だけの意向ではなく一方的に再建をするっていう考え方はなかったです。
だからこそ、「なんの後ろ盾もないこと、スタッフも2人なること、今再建する資金もないこと」をお話した上で「どこに作るかも何も決まってないけど、工房を再建しますか?」と利用者さんにお聞きしました。
すると、皆さん「工房作ろう」「工房は必要だ」と言ってくれました。
その気持ちを受けて、「工房を再建する」と、行政と法人に報告し、動き始めました。
利用者さんと一緒に歩んでいくことが大切と思っていましたから。

利用者さんと共に物件探しと偏見の壁

障害者福祉センターを借りられる期限は5月末だったので、活動と並行して物件探しもしていました。利用者さんは再建に向けてのスタッフの苦労も見えていたようで、利用者さん自ら「何か自分達にできることはないですか?」って申し出て下さいました。そこで、利用者さんに負担が少なくできることを考え、物件探しをお願いしました。
しかし、物件探しでは障害者に対する偏見の言葉を幾度も受けました。
業者としては福祉施設だと何かトラブルが起きるのでは?とも想像していたのかなと残念ながら思います。私たちは虐げられるような、恥じるようなことは一切していないのですが、悲しかったです。福祉施設への理解をもっと持っていてくれればと感じました。
利用者さんと一緒に不動産屋に行くと「障害者の施設には貸さない」と言われました。利用者さんの前で「障害者なんかに」って。あんな悲しい思いはもうしたくないです。
今の物件が決まるまでも大変でしたが、利用者さんと一緒に動いたことはとっても良いことだったと思います。
何とか現在いる若林のビルを見つけて、6月7日に開設しました。でも障害者福祉センターとの契約が5月末までだったので、開設までの6日間は利用者さんに申し訳ないけど活動は休止と伝えました。利用者さんもこの件を理解してくれました。その間も電話相談などは受けていました。
でもやっぱり再開まで利用者さんも一緒に動いたからこそ、工房が出来たことのありがたみや応援して下さった皆さんのありがたみもわかりました。そして、その過程の中で一緒に物件を探したりすることにより「自分たちの工房なんだ」っていうのも実感できていますね。

視覚障害者への理解

健常者に対して、視覚障害のことで知ってもらいたいことはありますか?

最近は声を掛けてもらえるようになっていますね。この前、電車の中で一人になったとき、乗務員さんに初めてだったけど声を掛けてもらって。

 

何と声を掛けてもらったんですか?

お客様、どちらまでですか?と。最初は自分に話掛けられているのか分からなかったんだけど。「私ですか?」と聞いたら、「白杖を持っていらしたので。もう一人の方は降りましたよね?」と。「ああ、ヘルパーさんです。」と答えて。で「一人になったから来てみたんです。」と。降りる駅を伝えると、その駅の職員にお伝えすることもできますと。扉の開閉ボタンを押してくれた人もいましたね。

 

最近ですか、そういうのが増えてきたのは。

私は初めてでしたね。それも全国的に鉄道の事故があったからじゃないですかね。稼働柵を設置するといっても簡単ではないよね。手っ取り早いのが声掛け。駅の職員さんはもちろん、周りの方にも声を掛けてもらえるとありがたいですね。

想い

現在の立身さんの生きがいというのはマッサージの仕事と、先ほど言った仲間との情報共有のネットワーク作りと仕事作りということになりますか?

そうですね。そう言いながらもときどきね、テレビを見ているときとか独り言を言ってしまうんですね。(震災を)思い出したくなくても思い出してしまう。忘れようとしても忘れられるわけないだろうとね。しようがないよね、毎日いろんなことがあって。生きてるからね。生き延びたんだから。申し訳ないけど私は笑うよとか。独り言でね。酒も飲むし、でも時には涙も流すさ。申し訳ないけどもう少し生きるよって言いながらね。何だろう、自分を慰めているのかね。そんな感じになってしまう。

 

震災をきっかけにより想いが強くなったんですかね。

そうかも知れないね。いろんな人のいろんな考えがあると思うのね。みなさん、強くなったんじゃないですか。

 

立身さんは積極的に活動されていると思うのですが、そうやって発信している方々がいるからこそ、周りの人もたくさん力をもらっているんじゃないですかね。

それが目的というかね。

 

まだまだ様々なサポートがあることを知らない人が大勢いると思いますが、そういった人達に発信していけると生活が潤うというか、充実した人生が送れますよね。

こっちの方を向いてくれるかなって。同じ想いを持った仲間と協力しながらね。仲間も常に何かできることはないかと探しているんですよ。待つだけじゃなく、行政や社協の方に協力してもらいながら、ラジオ、新聞なども利用させてもらってね。

 

先ほど、当事者の人にもっと表に出てきてほしいという話がありましたが、内向きな方が多いのですか?それともきっかけが無いだけなんでしょうか?

うーん、きっかけがないのかな。多分、何をやったらいいか分からない。そういうところだと思うの。例えば交流会などで役所の人と話をしてもね、一回だけじゃだめだと思うの。何回か参加して考えないと。一回話を聞いただけで活動を始めても長続きしないと思いますよ。ゆっくり考えればいいじゃないですか。

 

まずは参加することですね。

そうだね。参加してほしいし、そのためには情報を流す必要がある。

 

そういった方々が表に出てくることで生き甲斐を見出してしいという想いがあるということですね。

そうですね。見出してほしいですよね。もし、表に出てくるのがイヤだと言うのであれば、いろんな音声情報があるじゃないですか。それを利用すればいい。例えば、プレクストーク(視覚障害者向けの音声を聞いたり、編集することができる機器)。プレクストークは役所に頼めば手配してくれる。そういうサービスがあることを知らない人もいる。必要なら教えてくれる人も来てくれるので。自宅でなら、3、4人くらいで練習会もできるんじゃないかなと。そこまでいきたいね。とにかくそのためには役所、社協の手を借りてね。

 

立身さんのようにポジティブで積極的に人と関わる方ばかりではないと思うのですが、そういう人達の背中を押してあげる役割をされているという印象を受けました。もっと情報を得ることができて、その中から自分で選んで行動できるようになればいいですよね。

そうなんだよね。自分で選べれば最高ですよね。もしかしたら、体を動かしてみたいって人も出てくるかもしれない。そうなると障害者スポーツに繋がってくる。

 

世界が広がりますよね。

広がりますよ、絶対。だからもったいない。

 

知らないってことはもったいないですよね。

やはり情報ですよね。そこをね、何とかして行きたいね。

 

立身さんもパワフルでいらっしゃいますね。

うーん、凄い人はいっぱいいるからね。でも、こういう風にいろんなことができるっていいよね。いろんな人の手を借りながらもね。石巻って震災後にボランティア団体がいろいろできたんだよね。そういうのと障害者ももっともっと繋がっていけばいいのになと思うんだよね。いろいろやってる人もいるみたいだけどね。

 

では、今後の課題ということですよね。

うーん、だと思いますね。

 

立身さんが震災前に住んでいたご自宅は、基礎だけが残り更地となってしまいました。近辺では多くの犠牲者が出ており、津波がいかに想定外で大きいものだったかを物語っています。立身さんの仰る繋がる事の大切さはもちろん、大災害を想定して、いかに備えるかが大事だという事を痛感する取材でした。

震災を経験して思うこと

 震災の前と後で、精神面あるいは体調面で変わったと感じることはありますか?

あります。すごく痩せたんです。娘も同じです。当時中学校1年生だった娘にはいろいろ助けてもらいましたが、ただ、やはりパニックになる所もありました。一番娘がイヤだといったのは「警報」です。雨が降ると水かさが上がりますとか、道路が通行止めになりますっていう放送が鳴るたびに怖がっていました。余震があればすぐに目が覚めて、荷物を持ってすぐに家を出ることの繰り返しで、本当に精神的に疲れました。

LEDの携帯用ランプや懐中電灯を部屋にたくさん置いて、寝る時も光がある、何かあったらそれを持ってすぐに逃げられるようにしていました。それは今も変わらず置いています。食べ物もそうです。備蓄というのは今もしています。

 

防災意識が高まったということですよね。緊急情報の取得というのは、震災前はどのようにされていたんでしょうか。

テレビ、スマホです。アプリなどを活用していました。娘が学校などでいない時は耳からの情報が入らないので、スマホとかテレビを観て情報を得ます。街中のことでいえば、電光掲示板のようなものがあればいいなぁと思うことがあります。私の場合は、筆談などで「何があったの?」と聞きに行ったり、周りで話している人の会話を読み取るために気を巡らせないといけない。何度も何度も聞いているうちに、聞こえている人もこちらも互いに気を遣ってしまうんです。できれば音声放送以外にも、見てわかる物も示してもらえるとありがたいですね。

 

震災を経験して、聴覚障害の方に向けて備えておいた方がいいと思うことやアドバイス等があれば教えてください。

熊本地震のニュースなどで、家族に聞こえない人がいる時に、情報が入らなくてご飯の配給が3日間もらえなかったというのを見ました。避難所ごとに状況はまちまちだと思うので、隣近所の人たちには、自分が聞こえないということを伝える、ちょっと面倒だけどニコッとして(笑)伝えることが大事かなと思います。苦しい表情とか不満な表情を見せるのではなく、「よろしくお願いします」っていうふうになれば、周りの人たちも「いいよいいよ」って言ってくれると思います。「多くの健常者の中にろう者の自分が一人だけいると、遠慮してしまったり、何か恥ずかしい」というろう者の方のお話を聞きました。「障害の無い人と障害のある人の部屋を分けるっていうのも一つの案なのかな」と言っている障害者もいました。

 

聴覚障害の方を健常者がお手伝いする際に、どういったことを意識しておくといいか、教えてください。

聴覚障害は見た目ではわからないという部分があるので、自分が聞こえないんだということを周囲に向けて表す必要があると思うんです。自分から発信していく。中には黙っている人もいるんです。個人の性格的な部分でもあるんですが。「聞こえていないのに、サポートされない」という不満を持つ方もいるんです。なので、支援してくださる方には、最初に「聞こえない人いますか?」「障害のある人いますか?」「病弱の方いますか?」「薬飲んでる人はいますか?」なんて紙に書いて出してもらう、確認してもらう、そのうえで対応してもらえるとその後が楽だと思います。みんなに見てもらって共有できたうえでサポートしてもらえる形だといいなと思います。

 

聴覚障害を持った方とコミュニケーションを図ろうと思った際に、手話ができなければ、簡単な方法としてはやはり筆談になりますかね?

そうですね、やはり筆談とか、あとは身振り手振りもいいですよ。

 

健常の人に知ってもらいたいことや訴えたいことはありますか?

あります。聞こえる人は津波が来るいうことも会話や警報を聞けばわかる、でも聞こえない者はそれがわからない。どうしたらいいんだろうってなった時に、聞こえる人が手をつないだり服を持ったりでもいいから、一緒に行動してもらえるとありがたいと思います。聞こえない人は自分で勝手に動くというよりも、聞こえる人達の様子を見て、真似て一緒に避難するっていうのが多いと思います。紙とかが無い場合は仕方がないから手の平に書いたり身振り手振りだったり、表情だったりで示してもらって一緒に逃げる。その後別れるとかでも構わないです。それが発災直後の話ですね。

あとは懐中電灯が必要なんです。筆談をする時や、携帯電話の画面に文字を打って、それを聞こえる人に見せるとコミュニケーションが取れるんです。暗い場所で見てもらうためにも、懐中電灯は欠かせませんね。今、便利なアプリがあって、打った文字を大きく見せることができるんです。筆談するものが無い時には、こういう携帯電話とかを使って、情報を伝えたり、情報を得たりしていくんですよ。ただ、バッテリーが無くなるとそれで終わりなんですね。電池残量が少なくなるとハラハラしてしまいます。

健常者への要望

今後、健常者の人に対して訴えたいこととか、健常者の人たちが渡辺さんのような方々にお手伝いをしたいと思った時には、どうしたらいいか教えてください。

筆談でもいいし手に文字を書いたり、無ければ地面に書いたりと方法はたくさんあるので、いろいろな方法でコミュニケーションを取っていただけるとありがたいです。そこに表情を入れたり、身振りだけでも分かるので、そういったコミュニケーションができればとても助かります。

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