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第四回被災障害者就労支援事業所連絡会議を開催しました。

この度、平成24年度被災障害者就労支援事業所等復興支援体制づくり事業の一環として、『第四回被災障害者就労支援事業所連絡会議』を9月19日(水)に開催しました。

この会議は、宮城県内で建屋の損壊等特に直接的被害が大きかった、若しくは沿岸部等、特に被害の大きかった地域に所在する生産活動を伴う事業所を対象として、情報交換による互いの状況把握と、それに関しての相談、アドバイスの場を設ける事で、新たな問題解決の糸口発見や協働での作業づくり等相乗効果が期待できると考え、震災の影響を強く受けている事業所の集まりを作る事で、何らかの支援をしたいと考えている法人や団体、有識者を迎え、作業の提案や商品販売ルート開拓、場合によっては事業所運営のヒントを得る事を目的としております。

第四回目は、場所を石巻市河北総合センターとして、大変お忙しい中、7事業所7名の方にご参加いただきまして開催致しました。

【参加者】

(社福)嶋福祉会 さくらんぼ 山崎施設長

(社福)円 まどか 塚原生活支援員

(社福)洗心会 のぞみ福祉作業所 畠山所長

(社福)洗心会 ワークショップひまわり 小松施設長

(社福)山元町社会福祉協議会 山元町共同作業所 田口施設長

NPO法人みどり会 みどり工房若林 今野施設長

NPO法人輝やくなかまチャレンジ こころ・さをり 熊井センター長

【ゲスト・アドバイザー】

(特非)エイブルアート・カンパニー 柴崎氏

(特非)日本セルプセンター 林氏

(特非)ふうどばんくAGAIN 高橋氏

 

 

 

 

 

 

 

 

第四回目の会議の内容は、現在の活動内容と今までの案件の進捗状況、または、現在の一番の問題点等を中心にお話していただきました。

今回は、初参加の事業所が2か所あったので、震災時の状況などをお話いただきました。

【山元町共同作業所 田口施設長より】

山元町は商店街も住宅街も津波で根こそぎさらわれ、町の4分の1が浸水し、住民の8割は家族や家を失った。事業所はぎりぎりのところで津波の被害は免れたが、山元町の社協が運営していたため、事業所を閉鎖し町民全体の支援に当たらなければならなかった。4人のスタッフは災害対策本部でボランティアの仕分けや事務処理をし、自分は精神保健福祉士として精神障害の人の体調を見守るために避難所を巡回した。プライバシーの無い集団生活は健常者の体調を崩し、精神障害の人達は1か月でピンチを迎えた。上司の反対を押し切って、2か月後に事業所を再開した。全国から支援に集まってくれたケアワーカーさんや障害者施設の職員さんに、準備の段階からご協力いただき、1週間交代で臨時職員として入ってもらった。

再開して間もなく、エイブルアート・カンパニーの柴崎さんから電話があった。障害者の可能性を引き出すアート活動と、そこから商品を開発し販売するノウハウを持つNPOだった。この出会いから、作業所は大きく変わってゆく。被災地の障害者は『自分たちはただの重荷なのか』と自信を失っていた。自分の絵が商品になり、関東の有名百貨店などで販売されたことが、彼らに自信と活力を与えた。これまで授産活動が苦手で、仲間からも見くだされ、自信を持てなかった人達の感性がデザイナーに絶賛された。これを機に、利用者さん達は互いの良いところを認め合えるようになった。

山元町は“いちご産業”で復興してゆこうとしている。震災で広げた人脈を活かして、いちご産業の会社を立ち上げた職員もいる。作業所でも ”いちご物語”というプロジェクトの中で、手拭い、バスボム、ジャムなどを全国に販売して行く予定。商品の値段が高いと感じている町民からは購買意欲は感じられないが、工賃も上げてゆきたいし、今までお世話になったいちご農家にもお金をきちんと支払って恩返しをしたい。商品の価格は妥当だと思う。

11月にオープンするコミュニティカフェは、仮設にいる人、一人暮らしの孤独な人、町を訪れる人をつなげる目的。地域の活性化に貢献してゆきたい。

「障害があっても山元町の復興のために何かしたいよね」と働きかけると、利用者さん達の瞳は生き生きと輝いてくれる。ここから、私たちから山元町を発信して行きたいという思いがある。

 

こころ・さをり 熊井センター長より

『障害のある人も一般の人も一緒に活動する』という理念でさをり織りをしている。契約者は20名、通所人数は平均7~8名。震災で自宅が全壊した利用者が1人いる。活動場所は石巻市内のビルの2階で、震災の時、車椅子の利用者が階段から落ちそうになっていたことに気づいて慌てたが、全員怪我もなく無事だった。ビルの5階まで避難させてもらえたが、眼下の光景は緊迫していた。周りは水だらけ対岸は火事、近所でも火の手が上がっていた。緊張のあまりてんかんの利用者が嘔吐した。自衛隊の救助が来るのを1週間待ち、一人一人が背負われて救助された。心配な利用者さんには、避難所に着いたらすぐに病院に運んでもらうよう申し送ったが、2日間も吸引が出来ていなかったり、精神で強い反応を示す子が放置されていたことを後から知った。

全員帰宅させた数日後に家庭訪問をしてみると、震災後の不自由な生活の中で配布物資をもらうにも、水を汲みに行くにも障害の子供を抱えているご家族は心が休まらない様子が伝わってきた。お預かりから始めることに決め、石巻市から支え合い拠点センターを貸してもらえるまでの1か月半の間は自宅を開放し面倒を見た。

その後、自分達の活動のために、市が仮設を建ててくれる話もあったが立ち消えたようだ。

支え合い拠点センターは石巻に5ヶ所ある。仮設住宅から離れた場所に設置されるのが通例らしいが、間借りした場所は仮設住宅に隣接していた。施設車両の駐車を嫌がる人、活動場所を移すらしいという作り話を市に電話する人がいて肩身が狭い。センターで別のイベントや催事があると、場所を空けて提供しなければならず、色々と制限されることが多い。安心して活動できる安全な場所が欲しい。

土地や物件について市に陳情するが、障害者の施設であること、活動する場所が無いわけではないこと、NPOであることを理由に話が進まない。障害者への差別や偏見、障害者施設を軽視する風潮が市民だけでなく行政にも感じられて、大きな壁になっている。

さをり製品は「フッコー.com」というネット販売と、全国のさをり仲間が支援販売をしてくれる。おかげで在庫があるのがめずらしいほど商品は売れている。利用者の一人一人が店主制で、作品に名前をつけ売れた分をお支払している。年に一度の作品展では、ギヤラリーを訪れるお客さんに利用者さんが積極的に自分の作品を売り込んでいて、販売も楽しみの一つになっている。

 

他の参加事業所も、全国からの色々な支援や助成金などを活動し、限られた場所ではありますが、利用者さんとともに生産活動が再開でき、工賃をお支払できるようになった状況の様です。しかしながら、やはり活動の拠点となっている場所の問題は、解決するのにまだまだ先が見えない状況であることも事実です。

今後は、新たな商品開発や販路開拓なども、少しずつですが進めていく予定です。

毎回毎回、時間が足りないくらい話が付きません。会議室をでた後の立ち話が一番面白く盛り上がっています。

この会議は、毎月1回の開催を目指して、活動していく予定です。

次回の開催予定は、10月29日(月) 13:30~ 場所:東松島コミュニティーセンター です。

【 参加予定】

宮城県内の障害者就労支援事業所

(特非)日本セルプセンター

(特非)ふうどばんく東北AGAIN

(特非)みやぎセルプ協働受注センター

詳しい内容についてのお問い合わせは、みやぎセルプ事務局(Tel:022-399-6299)までご連絡下さい。

ご興味がある企業の皆様からのお問い合わせもお待ちしております。